楽天主義、あるいは、楽観主義と呼ばれるものは、本来の哲学的な意味ではやたらにややこしいものであるが、一般的には、「ものごとが良い方向に進むと信じる」ことであると言えると思う。
ヘレン・ケラーは、大学生の時に著した「楽天主義(OPTIMISM)」で、楽天主義者の信念を「明日は今日より美しく、明後日はさらに美しい」と表現した。
1897年に出版され、いまも世界で読み継がれる“In Tune with the Infinite”を著したラルフ・ウォルドー・トラインも、この本の中で楽観主義の重要性を強く訴えている。
※“In Tune with the Infinite”の邦訳は、谷口雅春氏による『幸福はあなたの心で』、吉田利子氏による『人生の扉をひらく「万能の鍵」』どがある。谷口雅春氏は、「生命の実相」の中で、この書の原題を「宇宙と調和する生活」と訳しているが、それが適切と思う。
ただ、楽観主義も、使い方の難しさがあるような気がしてならない。楽観主義が現実逃避と混同されていることも多いと感じるのだ。
何の根拠もなく、ただ「大丈夫だよ」「心配いらないよ」とだけ言っていれば良いわけではない。
確かに、一休禅師は、遺言にただ、「心配するな、なんとかなる」と楽天主義の言葉を残したが、それを見るのはあくまで「どうしようもなくなった時」と言ったのだ。
そして、ヘレン・ケラーは、上にもあげた「楽天主義」の中でこうも述べているのだ。
「人生は、恐れを知らぬ冒険か、それとも無かのどちらかである」
楽天主義、楽観主義には、強さが必要なのだ。弱者の現実逃避の道具ではない。
そして、悲観主義が素晴らしいこともある。
五島勉氏の「ノストラダムスの超法則 死活の書」の中にある話だが、美しい姫を争って決闘をすることになった騎士に、ノストラダムスは「決闘相手の方がずっと強い。あなたは負けて死ぬ。姫も決闘相手のものになる」と断言した。天下の予言者にこう言われ、また、決闘相手の力量が自分を上回ることを認識していた騎士もそれを受け入れた。そして、死を覚悟して澄み切った心で決闘に挑み、見事勝利するのである。
だからといって、悲観主義が良いとも言わない。普通は弊害の方が多いかもしれない。
楽天主義とは、つまるところ、自分を信じることであるが、それは、身体や心を超えた高い自分を信じることであるに違いない。よって、身体や心を超えた自分を知らない者が正しい楽観仕儀者になれるはずがない。
それならば、上にあげた、ノストラダムスに死を宣告された騎士のように、全てを捨て、死を受け入れることで、身体や心の自分を超え、真の自分に触れることが必要だ。
本当の自分を知らない者は、本物の楽天主義者にはなれない。
重要なのは、本当の自分を知ることであるが、そのためには勇気が必要である。それが、ヘレン・ケラーの言う「恐れを知らぬ冒険」と思う。
至道無難禅師の「生きながら死人となりはてて、思いのままになすわざぞよき」の意味をよく考えるべきと思う。